2011-01-29

ワディ・ラムを経て...

中東にいると年が明けたというのに、全く実感がわかない
その要因は様々ある
まず、イスラムの国にいるということ、その次は冬にしては気温が暖かすぎるということ、そして何よりの原因は、年賀状(ファンレター)を読んでいないことがあげられる
毎年、ニューイヤー駅伝の放送が終わるまでに読み切れるのかと心配になるほどの、年賀状(ファンレター)が来ているのに、今年は日本にいないためその心配をする必要が全くなかった
みなさん、今年もせっかくたくさんの年賀状(ファンレター)を送ってくれていることだろうと思うが、読むことができない事を申し訳なく思っている
毎年、我が家には厚さにして6cmほどの年賀状が届くがその中で父親の分が3.5cmと大半を持って行ってしまう
そして、次におばあちゃん、母親、兄夫婦、姉、そして私と続く
私に届く年賀状(ファンレター)はというと、毎年0mmというのが恒例で、仕分けをするときに私の分を置くスペースをはなからとっていないというのが、何とも悲しいといえる
そう毎年0mmなのだ...
友達が少ないとか、嫌われているとかそんなことはないと信じたいが、事実である
だから今年も、別にはなから期待などしていなかった
...本当だ!
しかし、今年はなんと1通の年賀状が届いたらしい
この、緊急事態に母親は一大事だと思ったらしい
メールで年賀状の全文を送ってくれるという、何ともありがたいような、気恥ずかしいようなことをしてくれた
T田さんありがとうございます
帰ったら、つくだ煮の詰め合わせ送っておきます

さて、話を旅ブログに戻すとします
ワディ・ラム(ベドウィンのキャンプ)からヨルダンの最大の見どころ、死海とぺトラに行くために、まずはぺトラの近くの町へ移動する
ここで、シリアから一緒に旅をしていたミニサイズくノ一がなんと、死海もぺトラも興味がないと言い出して、いったんここで別れてエジプトのダハブで再会する約束をして、別々の道を行くことに
ということは、死海を前にまたしても男二人の色気のない感じになってしまったことに、やりきれなさを感じながらも、乗り込んだマイクロバスが満席で、何と乗降口のタラップに2人で座らされ、ムスリムの女性陣から「何?あの汚らしい東洋人2人は!」的な冷たい目線を右こめかみに感じながら、終始色気とは何なのかと言う、答えの出ない哲学的思考に没頭することで、惨めさをおくびにも出さずに、あまりに長い1時間の移動を開始した...

翌日、早速ぺトラ潜入
みなさん、ペトラがどう言う場所かご存知でしょうか?
ペトラはヨルダンでも、1・2を争う観光地で、岩砂漠の岩を削って神殿やら、何やらを掘った遺跡群
中でもアル・カズネは映画『インディージョーンズ〜最後の聖戦〜』の舞台になった事で一躍有名になった
ペトラ...一枚の馬鹿でかい岩を削って、ここまで見事な造形物を作り上げる、その創造性と技術は賞賛に値し、感嘆の息を漏らさずには居られない程素晴らしかったが、ペトラに居る間、常に考えていた事と言ったら、「無駄に広すぎるやろ」と「入場料高すぎるやろ」と言うことだった
やたら広い!やたら高い!
おかげで、翌日死海に行く予定だったのに、見事にがっつり体調を崩して行く事が出来なかった
そんな不甲斐ない私の看病をする為に、一緒に旅をしていたのりをさん(←本名らしい)も行けず仕舞いになってしまった
ただ、私が朝起きて「体調が悪いんです」と言った時に、あまりにすんなり「ほな、今日やめとこか」と言ったのはなぜなんだろう...??
最近、2人とも体調を崩してばかりである
偏った食生活と、朝夜の寒暖差が激しい事も相まっての事だと考えられるが、それにしても、のりをさんはここ1週間ずっと病人だ
最近も便秘だとか言ってたし...治ったら治ったであまりの勢いに今度は切れ痔とか言っている
...切れ痔...はっ!!まさか...死海の塩分濃度..切れ痔...
のりをさん、すんませんでした
帰ったら、つくだ煮の詰め合わせ送っておきます

1 件のコメント:

  1. 久しぶりに覗いたら
    売れない漫談家みたいになっとるやないか

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