2011-02-20

別れの朝

ダハブに滞在して少ししたころ、私たちは5人から多いときには7人と結構な大所帯となっていた
 しかし、決して連帯感があったわけではなく、皆それぞれに自分勝手にしたいことをしていた
そして、皆一様に思っていたことは、いつまでもダハブでダラダラしてても仕方ねーだろということそんな風に考えながらも、行動に移すのがためらわれる何かがここにはあった
そんな時のりをさん(←本名らしい)とみっちょんがついにダハブを離れてカイロに行くという決断をした
英断である
そんな、英雄二人に続けと、俺とミニサイズくノ一も翌日カイロを目指すことにした
セブンヘブンで夜行バスを予約して、夜バックパックのパッキングを済ませ、まだダハブに残る奴2人と、集合場所のセブンヘブン前に行ってみると、めちゃくちゃ大勢の人がいて何やらものすごく盛り上がっている
そこには、まさかの青春プレイバックのような盛大な送迎ムードが漂っている
それは、もちろん俺たちを送り出すためのものではない
セブンヘブンでダイビングのライセンスを取るために、にわか同級生になった者たちが、まるでテレビの熱血学園ドラマで転校していく友達を見送る場面にありがちな、向こう行っても頑張れよ的な、俺達のこと忘れんなよ的な、いつまでも友達だぜ的な、そんな雰囲気をプンプン漂わせている
もちろん俺達はそんな輪の中に入れるわけもなく、端っこのほうでただ小さくなって、出発の時間が過ぎているにもかかわらず、こいつらの茶番が終わるのを待つというめんどくさい感じになっていた
共にスキューバの免許を取るために苦労した仲間の旅立ちだか何だか知らないが、正直時間だけは守ってもらいたいものだ
こんなにみじめな人たちがいることも、知ってもらいたいものだ
今日は俺達にも2人見送りがいるからいいが、そういえば前日のりをさん(←本名らしい)とみっっちょんが出て行く時、誰一人として見送り行かなかったけど、あの二人はどんな気持だったんだろう...

カイロまでの9時間、前の奴はリクライニングをグゥーン倒してくるし、隙間風がビューン入ってきてむちゃ寒いし、バスぼろくて...振動すごいしで、とても寝れる状況じゃない中で、途中の休憩で一度も降りることなく爆睡していた
いよいよ、夜行バスの移動に適応する体に進化してきたようだ

カイロではダハブで会ったジュリ姉さん(←バブルの時代を生きた女)に教えてもらった、日本人経営の宿「カイロダウンタウンホテル」に宿泊した
この宿に朝着くと、まだ7時だというのにロビーにみっちょんの姿が!どうやらのりをさんも起きているらしい
二人とも前日の夜行バスで全く寝れずに、ホテルに着いて12時間熟睡してしまったから、朝早くに目が覚めたらしい
まだ、ホモ・サピエンスといったところだな
この宿には少しというか結構うざい従業員がいる
名前はコシャリだ
エジプトに行ったことがある人からすれば、えらい名前ついてんなぁと思うだろうが、コシャリとはエジプトの庶民に親しまれている、安いファストフードのようなものだ
ということは、コシャリという名前が付いているということは、日本で言うと牛丼さんとかたこ焼きさん、はたまたカップヌードル・シーフード味さんという名前が付いているようなものだ
もちろん、本名ではないらしい
のりをさん(←本名らしい)とみっちょんが初日に名前を聞いたところ、ボケてコシャリと言ってきて、そこからずっとコシャリで通しているらしい
このエピソードを聞いただけでうさい感じなんだが、それからも何かにつけていちいち、小ボケをはさんでくる
韓国人2人と日本人4人がロビーにいるときに、韓国人に「ジャパンとコリアどっちが1番?」とふざけた感じで聞いてしまう
そりゃ、韓国人2人は韓国とは答えにくいだろ...
最初のうちは、みんないちいち相手をしていたが、2日も経つともうみんな相手をしなくなっていた
まぁ、コシャリも悪い奴ではないんだが、空気を読めないのがつらいところである

カイロでは、なかなか盛りだくさんの行事をこなしたがそんなことよりも、やはりここはひとつ別れについて書くのが人情というもの
そう、このカイロでは約2ヶ月にわたって一緒に旅をしてきた、のりをさん(←本名らしい)とついに別々の道を行くことになっていた
ミニサイズくノ一とも約1ヶ月行動を共にしたがここでお別れ
彼女はこの後、ネパールへ飛ぶらしい
そして、血の繋がっていないお兄ちゃんに会いに行くらしい...
よくわからないが、あまり詳しくは聞いてないのでそういうことなんだなと納得するしかない
別れの日みんなでバス停まで見送りに行くと、去り際に彼女からみんなに向けて、手紙でも入っていそうな小さな包み紙を渡された
いやいや、普段は破天荒な行動の多い彼女でも、やはりこういうところは女子だなぁ~
と、みんな感心しながら、ホテルに帰り包み紙を開けるとなんと手紙と現金200EPが出てきた
この、驚愕の事態にみな開いた口がふさがら無い状態となるばかり
恐る恐る手紙を読んでみると、皆への感謝の言葉とともに
「何かを贈りたかったけど、思い浮かばなかったのでお金で解決することにしました エヘヘ」
の文字が!!
まさかの、おっさんによる資本主義的な解決のしかたに、みな顔をひきつらすばかりだった
結局、そのお金はみんなで豪華な食事をするということで、ありがたく使わせてもらった
のりをさん(←本名らしい)は、はるばるエジプトまで彼女が訪ねてきた
そして、また彼女と別れてもう少し旅をつづけてから日本に帰ると言っていたのに、どうやら彼女と再会して日本が恋しくなったのか、もう離れたくない的な感情にほだされたのか、そのまま彼女と一緒に日本に帰ることにしたらしい
そして、俺はみっちょんと二人でモロッコに飛ぶことにしたので、ここで別れることになった
互いに、その後も一緒に行動する相手を見つけたことで、寂しさが込み上げてくることもなく、意外なほどあっさりした別れであった
なんせ、実家が近い者同士
日本に帰ればむしろ簡単に再会できるということもあったので、「ではでは、また」「おう、ほなまた」ぐらいのものであった
でもやはり、お世話になったし楽しい旅ができたので、きちんとした感謝の言葉をここで述べておきたくなったので、この場で述べようと思う
「のりをさんがいたおかげで、彼女さんが日本から雑誌やらチキンラーメンやら味噌汁やらいろいろ持って来てくれて、ほんと助かりました!かんなさんありがとうございます!!」

こうして俺は、新たな旅のパートナーを見つけ新天地モロッコへ旅立った



2 件のコメント:

  1. 内容がさっぱりわからないっすよ。

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  2. 要するに、そぼろご飯の話?

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